2011年03月20日

一週間。11日

東北地方太平洋沖地震が起きて、一週間が経ちました。
被災にあわれたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。

この一週間の私の出来事です。

☆11日14時26分
私は、東京都港区職場にいました。

私用電話をかけるため、席を離れて、共同スペースの窓際にいました。
数日前にも地震があって、今回もそんなものだどうと思っていました。
(数日前の地震は、長かくて驚きましたが、机の下に隠れることないくらいでした。)
揺れてきましたが、窓がら外を見ると、歩いている人は、まったく気づいていませんでした。
電話先の方から、「揺れてきたので、電話を切りたい」と言われ、電話を切りました。
(その方とは、19日にお目にかかることができました。)
しばらく外を見ていると、人口池の水が大きく揺れ始めました。
それでも、歩いていいる人は平常のままです。
そのうち、立っていられなくなり、しゃがみました。
外の様子が気になったので、目の高さまで窓に出しました。
だんだんと、歩いている人も異変に気付き、立ち止り始めました。
近くのビルから、人々が外に出始めました。
揺れは続き、外を見る余裕もなくなり、しゃがんでいると、防煙ドアのストッパーがオープンになったのか、大きく揺れ始めました。
カンカンと音を立てながら、何度か揺れて、最後には閉まりました。
恐怖心より、支えが出来たことを感じて、少し落ち着きました。
何分経っているか、わかりません。
誰もいない、しゃがんだまま、動けない状態でいると、同じ職場の人が、階段につながるドアを開けて入ってきました。
その人は、別の階に行っていて、そこで揺れ始めたそうです。
落ち着いたので、自分の職場の階に戻ってきました。
2人とも、同じ職場の人に出会い、安心しました。
2人で、職場に戻ろうとした時、防煙ドアの小ドア、人が通れるドアが開いて、職場の人が来ました。
またいで、ドアを通り抜け、職場に戻りました。

職場では、大勢のためか、騒いでいたようです。
少し落ち着いて、自販機に行き飲み物を買おうとしましたが、ほとんどが売り切れになっていました。
揺れは何度かあり、1度座っていられないくらいのがありました。

仕事を続けているうちに、交通機関の不通が伝えられました。
明るいうちに家に帰りたいを思う人が出始め、社内が落ち着かなくなりました。
私は開通してからゆっくり帰ろうと思い、様子をみていると、当日中の交通機関の開通はムリということがわかり、「会社泊」の可能性が出てきました。
社内放送で、「会社は安全、備蓄食糧を配ります」と案内がありました。
自力で帰宅する人、待機する人、泊る人、名簿作成が始まりました。

・・・
この日は、備蓄食糧を食べ、夜が開けるのを待ちました。








posted by たまポン at 17:42| 神奈川 ☁| Comment(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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